『坊ちゃん』には清(キヨ)

空(から)の巣症候群という言葉が流行ったのは、

もう二十年以上前のことでしょうか。

家を出て行った子どもに取り残されて

力が抜けてしまった親たちのことだと言われたものです。

あの頃、仲間内ではちょっとしたペットブームがありました。

みんなでペットを可愛がったものですけれど、

ペットにも寿命があって。

色々なお別れに追い込まれているうちに、

自分の身体も故障だらけになるし・・・。

可愛がっていた孫の旅立ちを見送る哀しさは、

空の巣症候群再来かと、残念です。

元気を出しましょう。私たちだって、

小説『坊ちゃん』の清、くらいの存在には、

なれると思うけどな。

 

 

 

裸足(はだし)になりたい

暖かい日差しにさわさわと風が吹くと、

♪春の小川はさらさらゆくよ~♪

の曲を思い浮かべてしまうせいでしょうか。

縁側に行って靴下を脱いでしまいます。

小川はないけれど、風に足をさらしてみようという気持ち、

これを歌に詠んでみようと、下の歌、

ちょっと気取ってみたのです。

「新芽磨(と)ぐ

 せせらぎほどの

 温(ぬく)さかと

 素足を縁(えん)の

 風に並べぬ」

すると、ここ、お世話になっている「はてなブログ」さんから

スマホのほうに前の作品が紹介されていたのです。

2月21日の作品です。

「下駄ばきに

 なりて縁より 

 降りてみん

 春の小川となり風の吹く」

ついこの間のこと、毎回同じような気持ちになっています!

そこでよおく考えてみました。

北国育ちの私が、

長靴から解放されてやっと下駄を履いたときの感動。

青草の冷たさを感じながら駈けて行くと、

真っ白な林檎の木に出会ったたことがありました。

また雪が積もったのかしらと思ったのですが、

林檎の花だったのです。

あのときの状況が私の「春」の根底にはあるのかもしれない。

 

そこで、林檎の花を歌に登場させてみました。

林檎(りんご)の花ですよ。

桜を追うように咲きだすはず。

もう咲いているのでしょうか。

詰め襟ぶかぶか

いつもそばにいるわけではないので、

孫はことさら急に、

ぐいんぐいんと大きくなっていくように思えます。

中学時代もすごいことでしょう。

我が子でも朝起きると、視線にはっきりと、

昨日よりは背が高い!と感じることがあったものです。

当然親は一年生には大きめの制服を着せることになりますね。

ぶかぶかの詰め襟をまとったペンギンたち、

これらからの成長がたのしみです。

    ※    ※    ※

先日、新聞記者が、

文章を打つのが横書きになったという悩みを発表していました。

新聞記事は特に一行何文字と決められていますから、

そのまま何行までとイメージしていくこと、

横書きになると苦労するのだろうと思います。

乗り越えて行かなくてはいけないことなのでしょうけれど。

私がブログに貼り付けている短歌について、

意見を申します。

短歌は、縦書きで味わってほしいということ。

あくまでも私の意見ですが。

それから、のちのち私たちの子孫が読む場合、

きっと漢字は読むのに苦労をするだろうから、

(私自身そうでしたから)ふりがなをつけてあげたいとい希望。

いろいろな文字の読み方についても味わうことができたらと思うのです。

それならば、縦書き、ふりがな付きで

工夫して打ち出すこともできるのでしょうが、

その苦労を考えると、

下手でも私ががんばって書こう!ということになったのです。

習字の練習にもなりますから、ね。

日本語の良さは、縦書きも横書きもできることで、

ひらがな、カタカナ、漢字、を混ぜ合わせて表現できるところにあるのではないでしょうか。

もちろん英文など、外国語を入れて

横書きで表現する短歌なども、

できたらやってみたいものですけどね。

色々な文化や文字を取り入れて、

日本人が愛おしんできた日本人の姿勢とでもいうのでしょうか、

大事にしていきたいなあ思っているのです。

☆愛おしむ(いとおしむ、と読みます)とか、ね。

桜に涙

 

見返り美人」を真似てみようかと思いました。

描いている内に、この美人は、

着付けをしているところなのだと気が付きましたけれど、

どうでしょう。

この姿勢は着物を着るときに

女の人がみせるたたずまいだと

勝手に判断して、

袖の動きを描き足したりして

遊んでみました。

腰の落とし方とか、本物にはかないませんが、

昔は帯の位置が低かったことなど、

面白い発見はありました。

花粉や黄砂に襲われて、

ごほごほと咳き込みながらのお絵描き、

ちょっとだけ、気分が晴れてきたように思えます。